なぜ日本人は質問することをしなくなるのか
東京大学大学院情報学環准教授・山内 祐平氏の、学習環境のデザインを研究する山内研究室のブログに日本人がどうして質問をしないのか?ことをテーマに大変興味深い記事を書いています。
それを簡単にご紹介したいと思います。
自身の大学の大人数講義で「質問はありますか?」と聞いても、手をあげる学生はほとんどいないといいます。日本ではこういった時に手をあげる人がいると、好奇の目で見られます。しかし欧米では多くの学生が積極的に質問します。
日本でも小学校の授業では積極的にな質疑応答があり、グループ学習でも議論が盛り上がります。しかし中学校に入ると、逆に誰も質問をしようとしなくなってしまいます。
山内 祐平氏の経験では、欧米では、小学校の方が静かで、むしろ中学校や高校と進級するに従ってより自分の意見をはっきりと言う学生が増えてくるといいます。このような文化差はあるものの、日本の学生はしっかりと考えているので、レポートを書かせると非常に素晴らしいものが提出されてくるといいます。
日本社会においては、人と違うことをして目立つことを恥ずかしいことであると解釈する文化的コードが社会に埋め込まれています。
中学校に変わるタイミングで、この変化を見る事ができるということから、自己概念が発達し、形していくと社会の中での自分の位置づけを意識せざるを得なくなります。その際に社会との関係性を構築させていき、文化的コードが内面化されるということが考えられるとされています。
自己概念の発達には個人差があります。ですので、中学校に入った全員が一斉に変化するのは不自然になります。中学校に入る際に人間関係がリセットされ、中学校独自の学校教育の影響によって文化的コードが内面化されている可能性もあると考えられるといいます。
おもしろいことに小学校や中学校の先生も研修で学生と同様の反応をするといいます。大勢の先生を相手にして「質問はありますか?」と聞くとほとんど手があがることはありません。
しかしこれをワークショップ形式にして4人で話をしてもらうと、制止しても止まらないほど議論がもりあがるといいます。
こういったことを通し、小学校6年間でグループで話し合う経験や小集団でのコミュニケーションスキルは発達するが、中学校や高等学校の6年間に相互作用が活発でない授業を受けている間に、質問することは恥ずかしいことであると解釈する文化的コードが内面化されてしまいのではないかと山内 祐平氏は推測をしています。
小学校では4人一組で机を合わせ、議論をするという授業や機会が多く有りますが、中学校に入ると少なくなり、進むにつれてこういった完全に議論をする場がなくなっていきます。自分でその道を選んだ大学で、発言することや質問をすることが出来ず、そのまま社会人になっても同様なことが続くのであれば、これはとても大きな問題です。中学校以降の教育を今後は変えていく必要があるとでしょう。
より質疑応答を積極的にして議論を交わしていく、そんな学校教育にシフトしていくことで、今までの恥かしいという文化的コードを無くし、今後の子供たちの未来を変えることができるでしょう。
ぜひ、もう一度日本の教育を根本から見直していって欲しいと思います。
引用元記事(ylab 山内研究室::Blog):
日本では、大学の大人数講義で「質問はありますか?」と聞いて手をあげる学生はほとんどいません。たまに手をあげる学生がいると、好奇の目で見られます。
これは世界共通の現象ではなく、欧米では多くの学生が積極的に質問するのが普通です。
不思議なことに日本の小学校の授業では活発な質疑応答があり、グループ学習でも議論がもりあがりますが、中学校に入ると、ぴたっと誰も質問をしなくなります。
限られた経験からではありますが、欧米の学校では、むしろ小学校の方が静かで、中学校・高校と進むに従ってしっかり自分の意見を言う学生が増えるように思います。
引用元URL:
【エッセイ】どうして日本人は質問しなくなるのか ylab 山内研究室::Blog
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